oohirahiroshipoemuのブログ

今まで思っていた事

問題に挑戦

これが、私の問題ではないかと思う時、一生懸命になるのです。
危ない事だと思っても、やる気が、不安を消してしまうのです。
無神経であり、気が利かない事でもあるのです。
臨死体験の感動は、何があっても、めげる事はなく前へと私を進ませるのでした。
タブーの水泳、運転、結婚に挑戦?させられたのかもしれないのです。
免許返上をすると、肩の荷が下りた気がするのです。

問題



私は、この世に帰された。
問題を貰ったのだが返された問題を貰ったのだが、なくしたのです。
その問題を探して、取り組まなければならないとの気持ちが、湧いてきて、何かせねばと、駆り立てられるのです。
何か起きると、これは、この世に返された問題ではないかと、
燃えるのです。

④臨死体験後

人も自分も、生き物は命と言うもので、繋がっていて、他人は自分でもあるとの感覚は、私を優しくさせる事になり、ある時、優しいとの自分の性格を疑いだして、切れるのでは、と思ったのです。
神とも言うべき存在に問題を貰って、返されたが、問題が出来た、問題をどこかに落としてしまった、その問題を探して、取り組まねばならないとの感情は、自分で、自分を見るとのありえないことを見たと、記憶している矛盾と共に私を悩ませて、生きることの意味を考えることになったのです。
命というものは、全て繋がっているが、生きているうちは、情報のやり取りは、出来ない、死んだ時、神を通じて、全ての事がわかると思うようになるのです。
臨死体験が、単なる能のなせる技であっても、リスクに挑戦させて、何があってもめげず、前に前にと、私を生きる事をさせたことは事実なのです。